死ではなく生きるを選択した理由
なかなか自分自身のことを語る機会がないので、
今回は私の人生について話してみますね。
私は小さい頃からよくなぜ生きるかの疑問を持っていました。
それは家庭環境、学校の環境が大きく影響していました。
バブルがはじけた年、1993年に生まれ
その頃は世の中的にお金が大変になった家庭も
多かったのではないでしょうか。
私もその家庭の一つでした。
大工さんだった父は、
バブルの影響を大きく受けました。
父は必死で家族を守り、
母は子供を必死で育てました。
父が仕事に集中し姑との関係がうまくいかなかった
母は、すごく大変だったと思います。
物心ついたころにはお金のことで
よく父と母がケンカをしていました。
家計を守りたい父、子供に不自由なく習い事や
洋服を着せてあげたい母。
お互いに家族を思いやっているのに
喧嘩が絶えませんでした。
その頃の幼稚園くらいの私は
父と母のケンカをみてこう思いました。
「私が生まれたから、お金がかかるんだ。
私がいるから父と母がケンカするんだ。
なんで私人を不幸にしてまで生まれたのか」と。
バブルが起きたとか、
父と母が何を大切にしてたのかとか
そんな時代の背景が見えるはずもなく、
ただ起こる現象をみて
自分が悪いんだと責め続けました。
その後も色々なことがありました。
母はストレスで私に当たるようになり
他人の子供と比較され
役に立たないとよく怒られました。
この時点で、どんどん自信を喪失していきます。
とにかく家族関係で自信喪失と
母を憎み不信するようになった私は
学校で居場所を見つけようとします。
ですが、根底に人間不信があるため
深く繋がれなかったのです。
時にはいじめもありました。
その度に「やっぱり人間は信用できない」
と感じてどんどん殻に閉じこもるようになります。
顔は笑顔するけど心はぐちゃぐちゃ、
いつも傷だらけの状態。
信用できる人も、信頼できる人も
誰一人いない、そんな毎日。
高校ではついにリストカットしなければ
苦しすぎて自分を保てない、そんなところまで
いってしまいます。
今でも時々思うんです。
【私、なぜあの時死ななかったんだろう】と。
正直、死んだ方が楽だったと思います。
ずっとずっと疑問だった。
ですが大学時代に教育コンテンツと出会い
自分が何者なのか答えがわかった今、
その疑問の意味が分かったんです。
私みたいに苦しむ人を救うためだったんだ、と。
当時は自分だけだと思っていました。
私以上に不幸な人はいないと。
こんなに鬱のようにおかしい人はいないって。
でも、違ったんです。
私だけでなくこの時代の同じ海にいる人は
みんな苦しいんだって。
それが分かったときから
あの頃の痛み悲しみ、苦しみが
今の私のプライドになりました。
だから同時いじめをした人にも感謝しているんです。
それがなかったら、今ごろ人の痛みがわからない
人になっていたかもしれないから。
傲慢になっていたかもしれないから。
だから必要な道だったのです。
今では「死にたい」とよぎることも言うことも
なくなり精神から元気になりました。
これは人を無意識からかえる認識技術が
あったからこそだと明確に言えます。
私はその経験を持って
今の時代に苦しむ人、心が痛んでる人を
なくしていきたい。
だからこそ、
絶対裏切らない友達50人を作ることに
チャレンジしたいのです。
真の信頼、真の関係性、
自分の価値観、判断基準を超え
共通の土台から人を愛し
違いを生かし認められるチーム。
そんな集団を作りたい!
今はそのプライドを胸に
やり遂げるまでチャレンジをしていきます。
そこに今世を使おうと思う。
読んでくださりありがとうございました!
北川愛子