令和哲学カフェ #13 「不安・憤怒が希望になれる条件とは」
6/10の令和哲学カフェでは、WHTで「不安・憤怒が希望になれる条件とは」というテーマに沿って会を進めていきました。(#6〜#15の計10回の大テーマは、哲学となっています。)
また今日も面白いテーマですね!
参加者の5名が答えた回答はこちらです。
おりょう:ゲームだと思い込む
こうた:認識主体になり続けること
まなみ:不安憤怒の原因を知ること
けんご:全体像と変化の方向性が認識できる時
さわゆう:主体と客体が分離せず一致すること
その後、「なぜそれが、不安憤怒を希望にできるのかの理由」をそれぞれ回答していきました。
おりょう:乗り越えるために「これをどう乗り越えるか」の新しいアイデアが生まれる
こうた:常に騙す側になっていれば不安憤怒がかわる
すると、突如Nohさんがまなみさんに「けんごさんが答えようとしていることを、けんごさんになって答えてみてください」と質問したんです!
突如これがきたら焦りますね。笑
まなみさんが答えたことについて、Nohさんがこうたさんに「まなみが突破できなかった論理は何か」という質問を投げました。
次にNohさんはおりょうさんに「まなみさんはそれを聞いてどんな気持ちなのか」を聞き、その回答を聞いて「まなみさん、何点ですか」と質問を投げました。
もうこの時点でだいぶカオスです!!笑
すべてのやりとりは 書けませんが、WHTでは普段ならしない質問を通して、カオスをあえて作り、傾聴力・共感力・表現力・統察力がかなり育つ場になっています。
「不安・憤怒が希望になれる条件とは」
私も考えてみたのですが、希望になれる条件は「人間はどこから来て、どこへ向かうべきなのかを知ること」だと思います。
自然にしていると、どこへ向かうのか、なぜ生きているのかが分からないから常に不安ですし、でも必死にみんなに合わせて生き方を見つけようとします。ですが、 他の人も分からないまま生きている。だから訳がわからないし、どうにかもがいてみるけど、結局何やっても上手くいかず、不幸になるのが人間です。その中で憤怒が溜まっていきます。
人間はどこから来て、どこへ向かうべきなのかを知ることで、不安が解消され、憤怒が出ることもありません。心はスッキリで、人間がいかにすごいのかがわかって、本来の人間の機能を活用して生きられるのです。
どのようにまとまるのか・・。
次回も楽しみですね。