ポストコロナ時代へ向けてのメッセージ

コロナの危機を大反転させるキーワードを書いていきます。

なぜ宇宙は始まったのか①

宇宙が始まった理由
考えたことはありませんか?



いつ、誰が、
どんな用途機能目的をもって
この宇宙をつくったのか。



そして、この宇宙は
どこに向かおうとしているのか。



私たちは
この始まった大前提をしらない。



ものも豊かになり
生活も楽になった。



今までの人間が作ってきたものは
いかにこの体の自分が
楽にいきれるか。



例えば
歩かなくていいように自動車をつくり
自給自足しなくていいようにスーパーができた。



けど、私たちには足りない
何かのピースがある。
だから、未だに人間が満たされない。



つづく

空は境界線がないのに地上は境界線だらけ②

でも、最初から空のように
境界線がひとつもない地上だったなら



この悲しみや涙の先にある
繋がれることの喜びも
知ることはできなかった。



本当の繋がりとはなんなのか。



それを知るために
人類はあまりのにも多くの
境界線を引き続けてきた。



もうこれからは
悲しい苦しい、涙の歴史は
終わりにしよう。



境界線を引き続ける
脳機能の限界にピリオドを打とう。



そしてこれからは
二度と心が傷つかない
尊厳と愛が溢れる
そんな時代を残そう。

空は境界線がないのに地上は境界線だらけ①

空はひとつも境界線がない。
すべてが繋がってて
とっても美しい。



でも、地上は
境界線を終わりなくつくる。
自らのテリトリーを守り
そして相手のテリトリーをも奪う。



なぜこんなにも
悲惨で残酷で傷だらけの
歴史になってしまったのか?



みんな幸せでいきたいだけなのに。



会社の中でも派閥やグループ。
戦争が起きてる国だけが問題ではない。



一人一人にある
境界線を引きつづけてしまう
機能が限界なんだ。



つづく

何かをできてる以上に大切なこと

生きていると、できなきゃいけないことが
山ほどあります。



私は、どんなに心がキツくても
現実がとにかく進むことを
ずっと大切にしてきました。



だから、できたか出来てないかだけが
重要でした。



しかし、認識技術を学んで
できたことよりも
大事なことがあると知りました。



それは、どんな自分になるか、
ということです。



我慢して、ねばべきでやっていては
必ず限界が来ます。



どんな自分になるかを変化させると
自然と何やるか、もすんなり進みます。

心のゆとりを持つには③

部分ではなく全体を認識できるポジションに
自らを変化させる必要があります。



PC(パーソナルコンピュータ)時代から
PU(宇宙コンピュータ)時代へ



これからは一人ひとりが宇宙を持つ時代です。



宇宙を一点におさめるほどの
心の器を持つことが本当の心のゆとりです。



自分と自分の宇宙を消したり、立ち上げたり
自由自在に統制できること。



nTech(認識技術)によって、
全体を完全観察できる本当の自分、
すなわち、心のゆとりそのものの自分になることです。



そうすれば、争いは争いではなくなり、
さらに環境問題についても次第に解決されていくでしょう。



世の中の平和は、まさに一人ひとりの
心のゆとりからはじまるのです。



本日も読んでくださり
ありがとうございました。

心のゆとりを持つには②

本当に心のゆとりを持ってもらうには、
複合的に絡み合ったさまざまな問題全体を
解決しなければならないということに気がついたそうです。



今までは環境の問題が解決できれば、
世の中を平和に導けると思っていたけれど、
そんなに簡単に変えられるものではないと、
なかば打ちのめされた感覚になっているそうです。



では、
どうしたら人びとの心にゆとりが生まれ、
世の中を平和にすることができるのでしょうか?



それにはまず、
心のゆとりとは何かを知ることからはじまります。



本当の心のゆとりは、
自分の外の環境から創られるものではなく、
自らの認識の変化によって創られるものです。



環境などの条件状況によって創られた
受動的な心のゆとりでは、まさに部分的な
解決にしかならないため、すぐに限界は訪れます。

心のゆとりを持つには①

心にゆとりが持てない時代だからこそ
ぜひ読んでいただきたいです(*^^*)



■■コラム 心のゆとりが平和を生む



平和を創りたいという男性にお会いしました。



彼はもともと世の中の平和に関心があり、
どうして争いが起こってしまうのか、
その原因をずっと追求してきたそうです。



彼いわく、人びとが身近な暮らしの中で
心にゆとりを持てていないことが、
さまざまな問題を生み、
それが争いの種になっていると考えました。



そして彼は、少しでも人びとが暮らしの中で
心にゆとりを持ってほしいと思い、
ゴミ問題など環境問題にアプローチをはじめたそうです。



ところがやってみたはいいものの
なかなかうまく解決には至らない上に
たとえ解決できたとしても
部分的な問題解決に留まってしまう。