令和哲学カフェ #11 「人生は、騙す・騙されるゲーム」だったら好きか?嫌いか?
6月8日 第11回 令和哲学カフェ
今回も衝撃的なお題から始まりました!笑
「人生は、騙す・騙されるゲーム」だったら嫌か?好きか?
5名中、4名の方が「好き」と答えました。
それを聞いて私はびっくりしました。
「えーーー!!!みんな好きなの?!笑」
いや〜〜・・私は俄然キライですね。
なぜならば、”騙される”というワードを聞いただけで
騙された時の記憶が蘇り、感情レベルで嫌な感覚がするからです。
「もう二度と騙されないぞ。」
そんな感情レベルで決断もしています。
モヤっとした気持ちで聞いていたところ、最後令和哲学の整理が面白かったのです。
「騙すとか、騙されるとか普通嫌じゃないですか。本当は、信頼してバンバンやりたいんです。ですが、人間はそれができないようになっています。愛したいけど愛せない、信頼したいけど信頼することができないようになっているのが、我々の初期セッティングなのです。」
「だから、体人間では絶対に幸せになれないんです。本当のことを分かったら、今この瞬間が最悪の地獄なんです。」
「最悪の地獄を分かった人間が、実は最高の天国が分かるんです。」
なるほど。
確かに、信頼してバンバンやりたい。
でも、騙されるのが怖いし、人を信じられないから、それができないのだと、その整理に共感しました。
人間の宿命的課題として出されてい瓶の中に閉じ込められたトリの絵。
「瓶を壊さず、トリも殺さず、外に出すにはどうしたらいいか?」
まさに、人間との摩擦衝突により、傷だらけになった状態を、どうしたら傷を癒し、人を愛せるようになれるのか、信頼できるのかという問いとイコールだと感じました。
目では見えないけど、人間の尊厳が破壊されている状態であり、何をどのように考えればいいのか分からない。
意味も価値も自由に決められる、外に出られる希望を感じた今回のカフェでした。